--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2010/11/15 (Mon) POPEYE POPEYE POPEYE

どこからが現実なのか、やっぱり長い長い夢だったんじゃないのか。
ずっとずっと現実と夢の間を行ったり来たりしてるような感覚です。
まだ納得できてません。まだ悔しくてたまりません。

でもいつかは認めなければなりません。
いつかは区切りをつけなければなりません。
そう思って書いていても涙が溢れてどうにもなりません。
書くことでひとつ前へ進む努力をしようと思います。


Safari 015a


ポパイ、

2010年8月1日早朝、 私たちの元から旅立ち

永遠の眠りにつきました。


   
闘病中もポパイはずっとずっといい子でした。
自分の状況を理解し、ただ静かに耐えました。
ポパイは最期までポパイらしく
ポパイはポパイのままでした。


生前ポパイを可愛がって下さった皆さんありがとうございました。
ネットを通してポパイを見ていて下さった皆さんありがとうございました。

ポパイの親元サクレー様、素晴らしい子をありがとうございました。
この子と出会えて私達の生活は楽しく豊かで忘れ難いものとなりました。

ポパイは私の宝ものでした。
2004年にホームページを立ち上げたのはこの子が生きた証を残す為でした。
こんなにもちっぽけな命のポパイだけれど
ここに記すことで少しでも多くの方に愛されて欲しかったからです。


Safari 016c
         SACRAE JP'S BLACK VICTORY  /   POPEYE



ポパイという名のアフガンハウンドが
皆さんの心のほんの片隅にでも記憶される事は私にとっての幸せです。


*****


(ここから先はもしかしたら時間が経ってから一部もしくはすべて削除するかもしれません)


いつものように夕方には庭に出てバルコニーから外を眺めたり散歩中の犬に吠えたり新聞屋さんを追いかけたり、いつもの通りのポパイでした。 なのにその後の「晩ごはん欲しくない」それがはじまりでした。すべての生活習慣に規則正しく食欲にも全くムラのない子です。すぐに受診し、そして今すぐ入院が必要な状態でした。ごはんどころかポパイの体は水さえも受け付けなくなっていました。ついさっき元気に走っていた子があっという間にいつ命が尽きても不思議ではない状態になっていたのです。


*****


ポパイは9日間の入院中、24時間の輸液と原因を突き止める為の出来る限りの検査に耐えました。わがままも言わず本当にいい子でずっとじっと我慢しました。
私は午前診と午後診の日に二度ポパイに会いに行きました。夫も仕事の融通をつけては毎晩病院へ通いポパイに会い、獣医さんと治療についての話をしてくれました。
血液検査の結果は最初から非常に重篤なもので、通常は起き上がる事など出来ない状態だったのだそうです。なのにポパイは入院から最初の4日間は会いに行けば嬉しそうに尻尾をユラユラと揺らしながら自分で歩いて出てきました。「もう帰れる?」「今日は帰る?」と。起き上がって歩いている子は初めてだったそうです。
起きる事が出来なくなってからもポパイは最後までがんばって自分で寝返りをうち、トイレも介添えをしてもらう時まで我慢していました。
24時間の輸液もエリザベスカラーは全く必要ありませんでした。 自分で針を取らなかった子は獣医さんが見てきた犬の中でポパイがたった2匹目だったとの事です。
病院も獣医さんも怖くて、いつもピーピー言っては逃げていたポパイが、獣医さん看護士さんに尻尾を振るようになっていました。自分はこの人達に世話をしてもらっているんだという事をちゃんと理解していました。そんなポパイの様子からもポパイが丁寧にケアされていることがわかりました。大きなフカフカのマットを敷いてもらってました。体にはお布団を掛けてもらってました。ただ、私自身はポパイを人に託さなくてはならない違和感とかもどかしさを感じていました。私には会いに行って話しかけ励ます事しか出来なかったのですから。

ポパイはいつでも私の諦めの気持ちを考え直させる様ないつも通りの表情豊かなポパイでした。そのキラキラとした表情は行く度会う度もしかしたらも良くなる、そう思わせるポパイだった。
でも何日経っても状況は改善せず、毎日毎回同じ励ましの言葉を言ってはポパイを置いて家に戻る日が続いて。
「この子のように優しい子に限ってもう少しがんばれたんじゃないのか、という事がよくある」と獣医さんが言っていた。

ポパイのために友達が病院に面会に来てくれました。 ポパイは尻尾を動かして、それはそれは嬉そうだった。いつもの様に驚きと共にほっこりと照れたような幸せな様子だった。
でもいつまで経っても自分だけが帰れない。日に日に体は思うように動かなくなる。
だんだんとポパイの表情は暗くなっていく様に私には映っていました。



****


そして入院から10日目の7月31日土曜日のお昼過ぎ。

検査数値はさらに悪くなってしまっていた。
もう絶望的でした。これまでが十分すぎるほどの奇跡でした。
常に希望を持ち続けていた夫からももう言葉が出てこなかった。

 「このまま治療を続けさせて頂いてよろしいですか?」

いつまで治療を続けるのか。

ポパイにとって何が最善なのか、ポパイがいったい何を望むのか、
考えるのは常にそれだけです。

今日も変わらず生気に満ちたいつものポパイの目。
今日も私たちの言葉にしっかりと耳を傾け話を聞いている。
この子には嘘はつけない。
でも少なくともポパイが生きようとしている間は連れては帰れない。
連れて帰ることはポパイを死なせることだから。
ポパイは死ぬことなど望んでいない。
だからもう少し、まだもうちょっと。諦めた時が終わる時だから。

そうやってやっとの思いで心を決めて私と夫が「また来るからね」と部屋から出ると

ポパイは大きな声で激しく泣き叫んだ。

ポパイは私達を呼んだのです。


「ずっと静かに我慢して来た子が鳴いたりするというのはよくない兆候である事が多いです」と
獣医さんがおっしゃった。 私もそう感じた。
辛抱し続けたポパイが私達を呼んだ。
もう限界なんだ。

ポパイが望む事こそ私達が望む事。
それはポパイがどこよりも好きなこの家に一緒に帰ること。
そしてそれはポパイの意識がはっきりとしている時でなければ意味がない。

病院では死なせたくない。ひとりでは死なせたくない。
連れて帰ろう。もう連れて帰ろう。
覚悟を決めよう。
この子に嘘はついてはいけない。

決心しました。

ポパイ、お家に帰ろう。


*****


家に着いたポパイはとても安心した表情で起き上がれない事以外は全くいつものポパイだった。
夫に頭を撫でてもらい、手の動きが止まれば「もっともっと撫でろ」と鼻で突付き、久しぶりに甘えさせてもらったポパイは幸せそうだった。 私がキッチンに立てば私を目で追い「お腹すいた」と言ういつもの表情でじっと見つめ、 久しぶりに自分の要求を通そうかというポパイは満足そうだった。全く飲むことが出来なかった水を嘔吐する事なく口にすることが出来ました。不思議だった。何故飲めたのだろうか。


穏やかな時間はほんの少しだけで、その後は末期症状と闘い、闘い、闘い続けて
「もう寝たらいいよ、もう寝なさい」と声を掛けてもポパイは必死に生きようと闘い続け、
ポパイが目を閉じて眠ったのは帰って間もなく私が上半身を抱きかかえたほんの数分だけ。
それ以外は最期の時まで一度たりとも目を閉じることはありませんでした。
ポパイはずっと生きようと闘いました。
その声は「どこにも行きたくない」と言っているようにしか聞こえませんでした。
ポパイは話かける私の声をずっと聞いていました。しっかりと聞いていたと思います。
この子に嘘をつく事は出来なかった。



日付も替わって、

夜が明けかけてもやっぱり眠ろうとしないポパイに
なんでしんどくてもしんどくてもそんなにもがんばるのかと
あたしがずっとお話してるからポパイは眠れんの?お話やめようか?もう寝ようよ
と話して
ポパイの呼吸も弱くなってきて
ポパイと一緒に横になり
ポパイの息を浴びながら私も目を閉じて


その一時間程後の8月1日 日曜日の早朝、ポパイは

ひとすじの涙を流すと同時に、その呼吸と心臓を止めました。


最期の時も私と夫の声をポパイはしっかりと聞いていたと信じます。
私達の声を携えて旅立っていったと信じます。


怖がりのポパイ。いつも少しでも不安だと押し付けるように身体をピッタリと付けて来た。
すごく怖かったと思う。怖がってた。
どこにも行きたくなかったと思います。そう言っているようでした。

それでもそんなポパイの側に最期まで付いていてやれてよかったと思いたい。
家に連れて帰ってやれてよかったと思いたい。
出来る限りの事をしたんだと思いたい。

ポパイが土曜日のお昼に私達を呼んでくれたおかげで
私達2人で家に連れて帰り、 私達2人で看取り、私達2人で送る事が出来ました。
ポパイ、あの時呼んでくれてよかった。
ポパイは夫がいる時を選んで呼んでくれたのだろうか?


*****


医者にも想像も付かないような速度で急速に急激にポパイの体の中で複合的に何かが起こっていたようです。何故今回のことが起こったのか結局はわかりませんでした。1ヶ月前、2ヶ月前の血液検査で今回の予兆が現れることもありませんでした。
私も考えました。目一杯考えました。考えても考えても分かりはしません。想像力を働かせ考えれば考えるだけ自分への疑心が生じ、結論も出ないのに漠然と悔いて自分を責め。
でももう今の私には理由付けの必要はない、と言い聞かせてます。
これがこの子が持って生まれた体なのだから。これがポパイに与えられた体だったんだ。
皆それぞれがそれぞれの体を持って生まれてくるんだ。
そう思うほか気持ちの持っていきようがないから。



****



短い命にあっという間に別れが来る事は十分想定してた。ポパイが私のところに来たその日から心の準備はしてたつもりだった。それでもやっぱりもうしばらく一緒にいたかった。
ポパイ、まだ8歳です。諦め切れない。
どこにも行きたくないと言っていたポパイが可哀想で可哀想でならない。
悔しくて悔しくてたまらない。

濃くて密で楽しい日々でした。いつもいつも一緒でした。 楽しい事を経験しすぎたから、
もう十分でしょ、とポパイは連れて行かれてしまったのだろうかとくだらない事を考えたり。

ポパイは間違いなく幸せだったと胸を張って言える。
もう一度体を与えられたなら
必ずまた私達のところへ行くと言ってくれると思っています。

それから、ポパイの為に病院に会いに来てくれた友達、花を抱えて飛んで来てくれた友達、一緒に泣いてくれた友達。ありがとう。あのときの嬉しそうなポパイの顔。
ポパイに最後に会ってもらえて本当に良かった。その記憶を持ってポパイは旅立ったはずです。家族以外にもポパイを想ってくれる人がいる、なんて幸せなんだろうか。


****


すべてを終えて送り出す前のポパイは
ダイニングのいつものお布団でいつもの可愛いあの顔で
エアコンの風に長いコートがユラユラと揺らされて
「暑いからお外にはいきません」と、お昼寝してしているようだった。
ポパイー、もうそろそろ起きなさい、と呼んでも
「めんどくさいから聞こえんふりしとこ」と、知らん顔してるようだった。
そのまま、ずっとずっとそのまま、そこにそうやってポパイをそこに寝かせておきたかった。
そう、いつものふりをして。


****


ねぇ、ポパイ。

ようやく書いたよ。
気持ちを整理して、思い出し、振り返り、必死の思いで書いたんだけど、そしたらあんたが居なくなってから今日まで閉じ篭って閉じ篭って辛うじて蓄えたなけなしのエネルギーをあっという間に使い果たしたみたいで気力体力共にまたどこかに吸い取られたような感じで疲れたわ。
ほんとはこのままずっと何も言わずに「ポパイくんは?」って尋ねられたら「あ、家で寝てます」とでも言って何もなかったように生活したかった。認めるのが怖かったから。心が乱れるのが怖かったから。ポパイがいなくなったのが悔しかったから。
でも、もう書いたから。

びびりで大げさであかんたれのポパイなんて言ってたのにね、
あんたがあんなにも辛抱強く、強い子だって事を最後の最後に見せ付けられた。
そして、やっぱりあんたはほんとにほんとに良い子だって事を思い知らされた。

あんたがいつも通りそこにいる感覚がまだ抜けなくて、
あんたがいたはずのそこここを見ては
ああ、そうだ、もういなかったんだとあらためて思い知らされる事の繰り返し。

今はあんたの抜け殻だけがここにある。

ポパイ、本当に死んでしまったんだね。

嘘は言ってないよ。嘘ついたら怒るやん。
また必ず会えるから。絶対会おう。


涙っていつかは枯れるのかなぁ、ポパイ。


画像 249a


ポパイ用の涙、なんぼでも溢れて出てくる。






未分類 |


| TOP |

mayo

  • Author:mayo
  • アフガンハウンド ポパイ ♂
    2002年6月9日静岡県生まれ大阪育ち
    兵庫県南部在住

    ポパイのホームページ
    I'm POPEYE the afghan hound

05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

近頃のポパイ

***

メールフォーム

ポパイへのメッセージ゙はこちらへ

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

ポパイのブログ内で探す

***


全記事表示リンク

全ての記事を表示する

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。